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保険代理業のパイオニア時代

独立開業しても、得意先のあてはない。 思案のうえ、郊外の新興住宅地で、飛び込み営業をすることにした。

「住宅分譲」という言葉の発祥地「八千代台」で、1日30~50件の飛び込み営業。 初めは、知らない家のチャイムを押すのが怖かった。

それでも、3ヶ月も続けると、度胸がついてくる。月に1~2件の成約で、経費倒れではあったが、このときの経験のおかげで、人前で話しをすることが苦にならなくなった。

自分の可能性を信じてこの仕事を選び、自分から飛び込んだ道だから、撤退するわけにいかない。

「5年間頑張って飯が食えなかったら、実家に帰る」と、約束をして、親から運転資金も借りている。妻も、失敗して実家で田舎暮らしはしたくない。会社勤めを始めて、家計を支えてくれた。

開業から1年経過し、毎日、保険会社へ出勤していた。しかし、当時は研修制度ができる前で、会社からの給料はない。

そんな状況のなかでも、湖口氏は独学で保険の勉強を続ける。

やがて、「事故処理は湖口に聞け」と云われるようになり、保険会社の社員も、同業者からも相談を受けるようになった。

このことは大きな自信になる。その後、自分から進んで事故相談を引受けるようになった。遠回りではあったが、確実に得意先をつかんでいくことができた。

1970年6月、開業して3年後に、代理店仲間と日本初になる18日間「アメリカ保険業界視察」を実施する。

湖口氏は、代理店仲間と保険の研修会を毎月続けていた。

ぜひとも、これまで勉強してきたことを確認しに、アメリカの保険実情を自分の目で見たいと思っていたのだ。

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